伊織会定例公演が3月19日に催行されました。
以下は広報担当高木登の公演の記録です。
第5回 阿佐ヶ谷ワークショップ2023年度第1回「神田伊織の会」公演
開催日:2023年3月19日(日)14時開演
場 所:阿佐ヶ谷ワークショップ
演 目:第一席 母里太兵衛と名槍日本号
第二席 良海(市九郎)と青洞門~『恩讐の彼方に』より~
参加者:阿佐ヶ谷ワークショップ理事長、他14名(合計15名)
メール連絡での参加予定者は主催者側を除いてわずか4名(主催者側含めて7名)で心配されたが、講演当日の参加者は、伊織さんの紹介で4名、飛び入り参加2名と主催者側紹介を含め、合計15名となった。また佐々木孝英様の奥さまより、「神田伊織」のめくりを立派な書体で書いていただき、寄贈していただきました。厚く御礼申し上げます。
内 容:ネタおろしと辻講釈と、活躍
第一席目のマクラで、伊織さんの近況を兼ねての内容は、3月はスケジュールが超多忙で、講演当日の午前中には曳舟で『太平記』のネタおろしの後、阿佐ヶ谷へと駆けつけられた。3月にはこの『太平記』を含めネタおろしが4本、それに辻講釈が4本。辻講釈は東京都が認定する路上パフォーマンスのヘブン・アーティストとして上野公園ほかで講演。
前座の新規参加が急増し、彼等の高座の機会がせばまっていることから、辻講釈を発展させ、将来的には日本講談協会とは別個に「ヘブン教会」を設立し、その協会長となって彼らの活躍の場を広げたいという壮大な夢を語られた。
第一席 母里太兵衛と名槍日本号
黒田節で有名な母里太兵衛が名槍日本号を得た話。
主君黒田侯の主命を帯びた母里太兵衛が、安芸国(広島)の福島正則のもとに出向く。折りしも正則は酒宴の真っ最中で、口上も聞かず正則は太兵衛に酒を勧める。太兵衛は主君からきつく飲酒を禁じられていたため断るが、正則から「臆病者、卑怯者」呼ばわりされて、7合5勺の大盃を飲み干す。その見事な飲みっぷりに感嘆した正則は更にもう一献と勧め、今度はそれを一気に飲み干す。次には駆けつけ三杯と称して自ら所望して3倍目を飲み干した後、続けてもう一杯と飲む。そして、「錆槍」を舞った後、太兵衛が所望するものを何でも取らせるという正則の約束で、名槍日本号を望む。日本号は太閤殿下から賜った家宝であり他のものを所望せよと言われるが、太兵衛は応じず、約束を破れば「卑怯者」として喧伝するという言葉に正則は屈し、ついに日本号を与える。正則は家臣に酔った太兵衛の後を追わせるが、太兵衛は酔いも知らずと、馬上の人となって駆け去る。
講演時間は、マクラを入れて約25分。
第二席 青洞門の物語
浅草の旗本中川三郎兵衛の愛妾お弓と密通したことが露見して主人から手討ちにされるところを逆に切り殺してお弓と逐電した中間の市九郎は、その後も人斬り強盗などの悪事を重ねるが、お弓に有金全部を持ち逃げされた後、自分の犯した罪に恐れを抱き、行き倒れになった美濃国大垣の浄願寺で罪業を悔い改め、そこで修業を重ね、名前も良海と改めて諸国行脚の旅に出る。
豊前国に入ったところで、山國川にはさまれた耶馬渓の難所で命を落とした馬子を見て、その難所の岩場の掘削を決意する。
一方、当時3歳であった三郎兵衛の長子実之助が、市九郎を親の仇としてついに良海と名を改めた市九郎とやっとめぐり会える。しかし、岩場の掘削を始めた良海のことをはじめは狂人扱いしていた村人たちも今では彼を手伝うようになっており、良海は仇を打たれようとするものの、実之助は村人たちに阻まれる。良海の岩場の掘削が完成したあかつきには仇を打たれる約束でその場は収まり、待つ身の所在なさからついには実之助も掘削を手伝うようになる。そしてついに岩場が貫通し、二人は手を取り合って喜ぶ。良海は仇を取るようにと首を差し出すが、実之助はもう敵を討つ気はなく、良海と共に修行を共にすることになる。
菊池寛の小説『恩讐の彼方に』をもとにした講談。講演時間は、約1時間。
● 懇親会
講演終了後、ワークショップ理事長の佐竹さんが準備された飲食物で懇親会。参加者は11名。初参加の方々も含めて、伊織さんを囲んで和やかな雰囲気の中で2時間があっという間に過ぎた。